怪我ニートの備忘録(仮)

現在、怪我でニート中です。リハビリや家で思うことなどを気軽に書いてみます。

アキレス腱炎になって3か月経つ①

 

アキレス腱炎になって2か月を過ぎて、

3か月目に突入…。

※普通の人は1か月安静にしてれば治るそうだ。

それで結論を言おう。スポーツ整形外科にみてもらうことにした。

 

2週間前の私↓

えええええー

まだ痛いし、この前2キロ以上歩いたら、

もう痛いし、どうすればいいんだ!!

 

整骨院に自腹で行くお金もなくなってきた。

 

(最初に見てもらった病院は少し遠くて、

整骨院の紹介で、松葉杖返却後の治療の引き継ぎは整骨院

 

そもそも整骨院の先生、電気治療だけで治るのか?

そりゃ…私がお金たくさん払えないから、

今、電気くらいしか足にできないのだけれど。

それでもお金にまだゆとりがあったころでも、治療は足をまげるくらいだった。

 

家族の圧力攻撃…

「いつ治るの?」

「介護職なんか就かせたくなった。」

「まったくあの施設ひどい」などなど…

 

介護職が悪いというより、

使い捨てのような

あの会社と人手不足(半分人件費削減なのか?)が原因だと思う。

 

そんなウジウジした半月が過ぎた。

 

母に泣いてお願いした。

私「どうかお願いです。近所のスポーツ整形外科へ行くお金を出してください。

このままでは、よくなりません。私はどう動いていいのかわかりません。

早く社会復帰したいし、次に事務系の仕事につけるとも限りません。

そもそも未経験で事務職(長期)に採用される世の中ならば、

介護職なんて就いてません。」

 

母はムスっとしたように「わかったわよ」と承諾してくれた。

 

私は、医療事務未経験で採用されたこともあったけれど、

酷いお局さまの暴力・暴言で辞めた。

 

しがみつこうと耐えたんだけど、なかなか辞めない私に

あることないこと上司に吹き込んで、上司もそれに疲れたから

試用期間でクビになってしまったのだ。

 

それ以来、私は狭いスペースの事務職が少し怖くなった。

逃げたくても、業務時間中に逃げられないし、

可哀そうと同情する人もいたけれど、

お局ほど権力はない。

今でも辞めた日にコーヒーを同情で病院の中の喫茶店

パートのおばさんにごちそうされた日を思い出す。

 

そんなパワハラで辞めた私に母は

「あなたの精神がおかしくなる前に辞めて良かったかもしれない」とは言ってくれた。

 

でも今回は足の怪我で遠くに行けないし、

ずっと立っていられるかも未知だ。

 

だから恨み言ばかり言われている。

しかたない。フリーターの私は高齢にさしかかっている母にはお荷物なのだ。

 

ちなみにうちは父はいない。グリーングリーン

だから正社員なんて狭き門を新卒で探し回る金銭的余裕もなかった。

兄は正社員だけれど、無職の私にそんなに甘くない。

 

そして母も以前いた父も私が不健康で辛いと言っても

「仮病だ」「怠けている」という毒親だった。

結果、私の体には良性腫瘍がみつかったのだった。